安川電機の技術

安川技術物語
ロボット MOTOMANの誕生

電動式ロボット 生みの苦しみ

 

 

 当社小倉事業所の旧自動化機器工場で、オートローダを中心とした自動化機器システムを生産販売する中で、事業として、受注生産システム商品からの脱却、即ち汎用的なコア商品のハンドリングマシンをイメージしたロボットの必要性が議論された。
 折りしも、米国において「ユニメート」や「バーサトラン」という油圧駆動方式のロボットが開発され、国内でもこれらのロボットの輸入販売や技術提携が始まったころである。

 当社はそのころオートローダという単純シーケンスロボットも、一貫してモートハンドやモートフィンガを利用した電動式を標榜し、幾多の油圧や空圧式のメーカと市場で競合しながらも、電動式の良さを差別化技術として誇っていた。

  1972年に、基本コンセプトは「ともかく当社は電動式でこれを実現する」と言うことでロボットの独自開発に着手した。
 最初のターゲットは、そのころ同工場で最新鋭のマシニングセンタの購入計画があり、これのワークハンドリング用として、可搬質量20kgの6軸構成の円筒座標系のロボットを試作することになった。これが当社の電動式産業用ロボットの試作1号機である。そのころの汎用サーボドライブのコンポーネントはまだ非常に貧弱で、200Wまでのプリントモータと2kWまでのカップモータだけであり、パワー素子も世の中でパワートランジスタがやっとできつつある状況で、比較的大きなカップモータはまだサイリスタドライブであった。現実的に電動式では大きなパワーを出すすべは無かった。
 油圧方式のロボットが小さなシリンダで重たいものを軽々と持ち上げているのを、横目に、電動式に拘る当社のコンセプトに大いに不満であったことが鮮明に記憶されている



「MOTOMAN」
対外発表1号機

「MOTOMAN」対外発表1号機

 1974年ロボット展が開催され、ここに2年間にわたる開発の成果を出展したのが初代「MOTOMAN」であり、これが国内初の「電動式産業用ロボット」となった。重量物のハンドリングには不向きであった当時の状況と、電動式には何が最も適したアプリケーションかを熟慮した結果として「アーク溶接」作業に照準を当てた記念すべき展示内容でもあった。アーク溶接は当時の八幡事業所に溶接工場があり、溶接技能の蒼々たるベテランが沢山おられ、全面的な協力を得られたことは結果的には大変大きな力であった。

  「MOTOMAN」の選択した「アーク溶接作業」は今の成功に大きく貢献し、当社ゆえに、できた選択であったと言える。


多関節形ロボットの出現

 

 

 華々しいデビューを飾ったにもかかわらず「MOTOMAN」1号機は、引き合いは多いが、なかなか受注に漕ぎ着けられずに、開発陣は東奔西走しながら悶々とした日々を重ねた。
 そのころスエーデンのASEA社(現在のABB社)が電動式多関節ロボットを発表していた(この発表は実は1973年であったが開発陣がこれを知ったのはロボット展後であった)。

 当社のMOTOMANは油圧方式のロボットを何とかその形を留めながら電動式に置き換えることを考え、その構造の選択においても油圧方式ロボットを超える発想に欠けていた。
 ところがこのASEA社のロボットは、斬新でユニークなリンク構造で、電動式にマッチした構成となっており、その機能(コンパクトで動作範囲や動作スピードが大きい)および完成度の高さに大変感銘した。今で言う「感動価値」である。結果的にこの構造が世界の電動式ロボットの本流になっていくことになる。



「MOTOMAN-L10」の
受注一号機

「MOTOMAN-L10」の受注一号機

 このASEA社のロボットを手本に、当社も多関節ロボットの「MOTOMAN-L10」を開発した。L10の10は可搬質量を指し、力持ち油圧式ロボットの後を追いかけるのではなく、電動式による差別化を「アーク溶接用途」に的を絞ることで発揮しようとした。 

  案の定、開発陣が感銘を受けたように、お客様の顔色が変わった。
  大分県中津市にあるヨロズ自動車(現ヨロズ)中津工場殿が、購入を決断し、歴史的な受注1号機が成約したのが1977年である。
  この1号機は現在その役目を終え、モートマンセンタのプラザに展示されている。


風雪25年 世界No.1

 

 

 当社ロボット事業の起源はこの1号機の受注に始まり、既に四半世紀を経過した。紆余曲折があったものの、2002年度は販売台数で名実共に悲願の「世界No.1」を達成でき、モートマンセンタの生産も1000台/月を超える状況になった。 振り返って、電機メーカである、当社がここまでやれたのは、客観的に見ると、1つに、「メカトロコンポーネント」を内製していたこと、2つに「ソリュ-ション」を他社以上に大切にしてきたことであったのではないかと思う。


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